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茶碗の中の宇宙 -楽家一子相伝の芸術ー

先日、京都国立近代美術館で行われている、『茶碗の中の宇宙 ~楽家一子相伝の芸術~』 展に行ってきました。

この展覧会を観て一番強く感じたのは、初代と当代十五代の違い、でした。

しかし、何がどのように違うのか、異なるのかがはっきりとはわかりませんでした。

で、しばらく考えていたのですが、その違いがやっとはっきりとわかりました。

“千利休”という茶人がいるのか、いないのか、

それが、お二人の一番大きな違いなのではないかなあと感じました。

つまり、“千利休”という茶人がいる場合は、その茶人の意向に沿ったものを作らなければなりませんが、“千利休”という茶人がいない場合は、自分の好きなものを作ることができる。

これが、初代と当代が大きく異なる点ではないかなあと思いました。

ですが、このことは楽茶碗だけに言えることではなく、今の茶の湯全体に言えることであるように感じます。

例えば、お茶のお菓子。

お菓子屋さんは茶人の意向に沿ってお菓子を作るのが本来だと思いますが、今は、特注のお菓子以外は、お菓子屋さんが作ったものの中から茶人が選ぶ、という逆転の現象が起きています。

それぞれの職人さんがそれぞれに作りたいものを作り、茶人はその中から選ばなければならない、茶の湯に関するすべてのものについて、こういう印象を受けます。

職人さんの個性が出過ぎる、料理もお菓子も茶道具も、いろんなものを取り合わせて1つの茶会が出来るのに、それぞれ他との取り合わせを考えずに、それぞれが独自に完成したものを作ろうとする。

茶道具は、茶会の中の1パーツとなり得るのかそうでないのかということが重要な要素、大きな特徴であるような気がしますが、1つのパーツというより全員が主役、そういう印象を受ける物が多いように感じます。

で、話しを元に戻しますと、

今の状態の一番の問題は、“千利休”という茶人がいないこと。

この一言に尽きるのではないかなあと思います。

つまり、今の状態は職人さんに問題があるのでなくて、茶人の方に問題があるように感じます。

答えを、“千利休”に求めるのではなく、答えは自分で探さなければならないのではないでしょうか?

祖佛共殺。

こういうことが必要なのかもしれません。

祖佛共殺。

本当にこれができれば、逆に、祖仏を生かすことができるような気がします。

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