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2009年1月

自然の甘み natural sweet

Cimg66445_2 第95回葩会のお菓子です。

干し柿です。

I served these dried persimmons at the 95th hanabira-kai.

友人のお母様がお作りになったものです。

程よい、やさしい甘さで、お茶がとても美味しく感じられました。

最近のお菓子は、甘みが控えてあるものが多いですが、あまり甘くないお菓子を食べたあとだと、お菓子なしにストレートにお茶を飲んだときより、お茶が苦く感じられるなあ・・と思うこともあります。お茶とお菓子の取り合わせ、このお茶をより美味しく飲めるような、お菓子の味や甘さは?、というようなことは、突き詰めて考えてみると、とても難しいことのように思います。お茶も、値段の高いめのものは、人工的に作られたアミノ酸のようなものが入っているのではないか、というような、どこか自然でない感じが後口に残ったりしますし・・。

こういう風に考えてみると、自然に作り出された甘みは、違和感のない甘み、という感じがします。

以前、イソフラボンが話題になった時に、食物ではいくら取っても害にはならないが、錠剤のようなもので取った場合は、取りすぎるとよくない、というようなことを聞きました。甘みも、人工的に作り出した甘さは、取りすぎると体によくないように思いますが、自然界が自然に作り出した甘さは、体にいい、体に優しいのではないかなあ・・と思いました。

お手間入りの、美味しい干し柿、ありがとうございました delicious smile

花は木にあるように Arrange the flowers as though they were a tree

第95回葩会のお花です。

蝋梅です。

This is flowers of the 95th hanabira-kai. These are called Roubai.

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花器は、今まで何度か使っていますが、木製のひびの入った火鉢です。落としに水を入れて生けてあります。

今回のこのお花の特徴は、私の手がほとんど入っていない、ほぼ自然のまま、ということです。

私の手の届くところで、まだ蕾がついている枝 (咲ききっていると、すぐに枯れたようになってしまうので) をはさみで切り、その枝を、1枝ずつ、水を入れた落としの中に生けて行きました。その間、はさみを使ったのは、最後の1枝だけです (枝が太すぎて、落としの中にその枝が入るスペースがもうなかったので)。

以前、生け花を習っていた時に、なんで、ここまで人工的に細工しないといけないのだろう・・、と思っていたのですが、ここまで何もしなかったのは初めてです。まるで、自分の存在がない、空気のようになった気分でした。この枝たちはみんな、木にあったときと同じ姿で、今、自分達の向きたい方を向いているわけです。

手焙り  a small brazier

Cimg65983手焙り(てあぶり) です。

手焙りとは、手をあぶるのに使う小形の火鉢のことです。茶会の前日に頂いたので、使わせて頂きました。これをお持ちだった方は、お茶の先生をされていたのですが、その方が亡くなられた後、ご家族の方はお茶をされないので、使ってください・・ということで頂戴しました。

火鉢の中に、まず灰を入れます。左と右で、灰の色が違うの、おわかりになりますか?向かって左側の茶色っぽい方は、もともと手焙りの中に入っていた灰。右の白っぽい方は、今回、私が入れた灰です。5つ頂いて、1つしか灰が入っていなかったので、あと4つは、以前友人に頂いた、りんごの木の灰を入れました。同じ灰でも、びっくりするくらい、色が違いますよね。   

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灰の中に、火をおこした炭を入れ、しばらくすると、火鉢の陶器の部分が “ほあっ” と温まってきます。そこに、手を当てていると、やさしい温かさが手に伝わってきます。昔は、茶室に暖房器具はなかっただろうし、こういう手焙りのようなものが本当に必要だったのだろうなあ・・と思います。

少し年配の方は、懐かしい存在。お若い方は、初めて見るもの。と、いろいろでした。

葩会は、お寺のお布施と一緒で、頂き物で成り立っていますが、今回の茶会も、頂いたものが多かったです。

お寺で思い出しましたが、オバマ大統領が就任演説の中で、“・・なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ・・” というようなことを英語で言われたようですが、素朴な疑問として、なぜ、この中に、仏教徒は入っていないのだろう・・と思いました。

Sharing one cup of tea

Cimg66252 第95回葩会は、1月17日、ちょうど阪神淡路大震災の日でした。

葩会では、今まで大半が薄茶だったのですが、今回はみんなで濃茶を頂きました。今、この世の中ではいろいろなことが起こっているし、今日は、大震災の日だし、1つのものをみんなで分かち合う、というのは、とても大切なことなのではないかなあと思ったからです。濃茶と言うと、大抵、薄茶より上等の甘いめのお茶が使われることが多いですが、今、分かち合う必要があるものは、“甘さ”より、“苦さ”の方ではないかなあ・・と思い、ごくごく普通の薄茶用のお茶で、お客様のお1人に濃茶を練って頂きました。

全然苦くない。というのが、みなさんのご感想でしたが、私もそう思いました。練り方がよかった。薄茶用と言われる抹茶を濃茶にしても実は美味しい。分かち合う気持ちが苦さを感じさせなかった・・。理由はわかりませんが、ちょっと意外でした。

茶会は、季節感を表わす、季節感を大事にする、というようなことがよく言われますが、季節だけでなく、今、この世の中で起こっていることにも、心を配らなければならないのではないかなあ・・と思いました。どのようなことが起こっていても、それは他人事で、いつもと変わらず、贅沢なお茶をする。こういう考え方だと、ますます世の中からかけ離れたものになっていくような気がします。もちろん、平常心は大切ですが・・。

第95回葩会   The 95th Hanabirakai

1月17日は、第95回葩会でした。

詳細は、また後日・・。

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お家でお茶を Let's enjoy tea at home

Cimg65502_3これは、先日の茶席です。

点前座をぐるっと囲むような配置にしてみました。通常、お点前をする亭主の席にはお座布団は置きませんが、亭主と客の境をまぎらかす・・で、このように配置してみました。距離がすごく近いので、小間の席にいるような感じがします。

この中で、いわゆる“お茶道具”と言われるものは、茶筌(お茶を泡立てる道具)と 建水(いらなくなったお湯を入れる入れ物)だけです。あとは、家の中にあるもので、見立ててみました。建水は、ボールやどんぶりのようなもので代用できます。以前も書きましたが、代用が効かないものは、茶筌と抹茶ですね。

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では、他の道具を順番に見ていきます。お湯はポットに入れて、籠にすっぽりと収めました。

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茶碗等を置く場所には、2種類のランチョンマットを重ねてみました。黒い方が端からちょっと見えているところが、特徴です。

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Cimg64982ランチョンマットの上は、このようになっています。

お茶碗は、向かって右は、オーストラリア製の木製の入れ物、左は日本製のどんぶり鉢です。

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お茶を掬うものとして、今回初めてバターナイフを使ってみました。スプーンより、よっぽど掬いやすかったです。あまりピカピカしているのもなあ・・と思い、お菓子か何かについていた、和紙製の紐を巻きつけてみました。

お茶碗を拭くのには、こういうちょっと大き目の布巾を使いました。一応、バターナイフの紐と、カラーコーディネートです。

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茶器は、お茶の缶です。お茶屋さんなどで、いろいろな柄のものが売っています。いくらだったか忘れましたが、500円くらいだったと思います。いくつか持っていると、いろいろに楽しめるかもしれません。

ナイフと布巾が載っている木製の焼板は、今回、私が一番使いたかったものなのですが、伯父の手作りです。お素麺の外箱ですね。究極のエコ!?です。

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こちらは、お香です。

ライターで火を付けないといけないのですが、ライターをそのまま置いて置くのもなあ・・と思い、ケースに入れてみました。このケースは、京都のおみやげ物屋さんで見つけました。

で、お香なのですが、私は最近、2種類のタイプのお香を使い分けています。下の写真の向かって右側の木箱に入っているものは、白檀、沈香、伽羅を主成分とした3種類のお香で、左側は、ティ、お茶をイメージしたお香です。右側は東洋、左側は西洋のイメージなので、茶席の雰囲気によって使い分けています。今回は、洋風のイメージなので、左側のお香を使いました。

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Cimg65732 Cimg65612 お花は、庭の蝋梅を一枝、生けてみました。

お菓子は、松江の棹物です。お箸は、昔、天神さんか弘法さんで買ったものです。 見えにくいですが、“妙”・“高” と書いてあり、スキーの板の形です。

以上のような道具だと、マンションでも、海外でも、お茶を楽しむことができると思います。最近は、家で過ごすことが流行っているようなので、皆様も、どうぞお家にあるものを使って、お茶をお楽しみください。

歴史から学ぶ その2  Learning from history 2

Cimg65371先日の茶席です。今回は、できるだけ、いわゆる“お茶道具”と言われているものを使わずに、今、家にあるもので道具を考えてみました。詳細は、また、後日ご紹介します。

前回、このブログで、今、この世の中について、私が考えていることを書きました。こういうことを書こうと思ったのは、昨年の天皇誕生日の日に、天皇陛下のお言葉として、「(こういう難局を乗り気切るのには)みんなの知恵を出し合って・・」というようなことをニュースで聞いて、その通りだなあ・・と思ったからです。で、ひいらぎさん と よっしーさんが、ご意見を出してくださいましたので、私も、もう少し、今考えていることを書いてみたいと思います。

* ずっと、というの難しいでしょうが、しばらくの間、雨露をしのげる場所として、お寺などに身を寄せるということはできないのでしょうか?もちろん、お寺などには規則があるでしょうから、その規則に則って、お掃除などをお手伝いすることにして。 

私は、仏教の仏様も、神道の神様も、キリスト教の神様、イエス様も、衆生、人々をお救い下さる方だと思います。そして、お寺、教会、神社というところは、仏様、神様のご意志に従い、その手足となって働かれる方がいらっしゃるところだと思うのです。 今、神様、仏様は、何をお望みになっていらっしゃるのでしょうか?困っている人がいたら、救いの手を差し伸べて下さるのではないでしょうか?それが、仏様、神様のご意志ではないでしょうか?もし、神様、仏様のご意志に従わず、その手足となって働かないのなら、お寺や教会や神社は何のためにあるのでしょうか?

* 私が最近思うのは、人は、“人命”には逆らうことができても、“天命”には逆らうことができないということです。“天命”には、逆らえないだけでなく、妨害したり、邪魔をしたりすることも許されないと思います。昔のリーダーは、“天命”を知っていたけれど、今のリーダーは、“人命”に振り回されているように感じます。リーダーが“天命”を知っていないと、今の世の中のように、全員で道に迷ってしまうように思います。“天命”が聞こえないのなら、天から命じられたリーダーではないわけですから、リーダーの地位にはいない方がいいと思います。

今の日本の状況を、昔に当てはめてみます。まず、不作で、大飢饉が起こっている。そこに、領主の御家騒動で、誰が跡取りになるのか、もめている。こういう感じではないでしょうか?で、仮に私が隣国の領主で、隙あらば攻め込もうと思っているとします。今は絶好のチャンスですね。今攻められたら、慌てふためいて大混乱に陥り、瞬く間に占領されてしまうと思います。かなり危機的な状況にいるわけです。これ以上何かが起こると、大混乱に陥ると思います。つまり、今は、一致団結して難局に取り組まないといけない状況にあるわけで、御家騒動などしている場合ではないように思います。

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