« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

茶筌  A chasen ( a bamboo whisk ) 3

Img_5102_4 こちらは、奈良の高山の茶筌です。途中の段階です。

These are  bamboo whisks made in Takayama, Nara prefecture. They are not finished goods. It has to go through several processes before it is finished.

1つの茶筌ができあがるまでに、何段階もの工程があります。

茶筌の穂の部分は、よく見ると、すべて同じ薄さではなくて、先の方が薄くなっています。この写真でおわかりになりますか?

どのくらい竹を薄く削るのかは、口では説明できない、長年の経験、勘だそうです。手の感じで見分けられるのだそうです。

ちなみに、アメリカで買ってきた茶筌は、すべて同じ薄さでした。

我ながら不勉強なことですが、高山の茶筌が、こんなに手が込んでいるとは、全然知りませんでした。一本一本手作りで、製作過程で、ほんの少しでも破損すると商品にはならないようですし、正直、高山の茶筌は高いなあ・・と思っていたのですが、こんなに手が込んでいるなら、当然やなあ・・と思いました。今は、中国製かな?、安い茶筌が出回っていますが、ものによっては、お茶を点てている間に、穂が折れて、お茶の中に竹の穂が入ってしまうことがあります。茶筌は1番大事なものですから、やはり、高山の茶筌がお薦めです。耐久性、持ちもいいようです。

今の茶筌は、利休時代と全く同じではなくて、よりきれいにお茶が点つように、改良されたものらしいです。昔の茶筌では、今のような泡は点たないそうです。

今、思いつきましたが、泡だて器の代わりに、茶筌を使うと、お料理の味も変わってくるかもしれませんね。だいぶ使ってお茶が点てにくくなった茶筌は、柚子などを卸がねで卸した時、卸がねにこびりついている柚子などを取るのに役立ちますね。

Img_5105_3

こちらは、煤竹の茶筌。に、なる前です。

This bamboo whisk  is not also finished goods.  It was colored with soot.

流派によって、使われる竹の種類、形などが異なります。1つの流派でも、何種類かの茶筌を使いますので、茶筌の種類は、全部で、50~60くらいはあるようですね。120種類とか書いてあるものもありましたが・・。

There are various kinds of chasens ( bamboo whisks ), about 50~60. Because each chanoyu school uses different chasens.

私が習っていた流派では、現在、この煤竹ではなくて、上の白竹でできたものを使っていて、これが一般的なものなのですが、昔の資料によると、その流派の初代の方は、茶せんは、古く赤く、色の付いたもの、こちらの煤竹の方を使われていたそうです。

初めて、このことを知った時、驚きました。なぜ、初代の方のなさっていた通り、煤竹を使わずに、今は、白竹を使うのだろう。と、思いました。お茶のお稽古って、道具の位置は、畳の目の何目と何目のこの位置、とか、決まりごとだらけなので、てっきり、初代の方のやり方を、今もすべてそのまま、初代の方がなさっていた通りに受け継いでいるのかと思っていたのですが、そうでもないのだなあ・・と思いました。どういうものを守ることが、伝統を守ることなのか?流派を受け継ぐ、というのは、具体的にどういうものを受け継ぐことなのか?、こういった疑問が湧いてきました。

で、今回、茶筌の専門家の方に、お話しを伺って、こちらの煤竹は、今は入手が困難で、製作過程でも、古い竹なので割れやすく、途中でボツにしなければならないものが多いそうで、たいへんだとおっしゃっておられました。こういうこともあってか、だいたい、煤竹の茶筌は、白竹の茶筌の3~4倍くらいの値段がします。

私が習っていた流派で、いつから、煤竹が白竹になったのかは?ですが、入手が難しい、高価である、ということを考えると、白竹に変えられたのは、茶道普及というためには、必要なことだったのかなあ・・と思いました。

茶筌  A chasen ( a bamboo whisk ) 2

茶筌の続きです。

Continued from the last topic “chasen”.

Img_48792_2 Img_5033_4

先日は、この2つの茶筌、日本の茶筌と、アメリカで見つけてきたchasen、を使ってお茶を点て、味の違いを比べていただきました。

I made a tea with these bamboo whisks .

茶筌の違いによって、味が変わるか?

あまり変わらない、という方と、全然味が違うという方とがありました。私は、いろいろと違うなあ・・と思いました。

Img_48791_3Img_5036_5

まず、お茶を点てる、ということに関してですが、このアメリカで見つけたchasenは、泡がたちにくかったです。chasenの隙間から、すーすーと抜けていくような、かしゃかしゃ・・・と、竹とお茶碗との摩擦音もよく聞こえる感じでした。

この2つのお茶を点てる時間ですが、日本の茶筌では、あっという間にお茶が点ったのですが、chasenは、倍くらいの時間をかけても、全然泡が細かくなりませんでした。

お茶のお味の方は、点てる時間が長いからかもしれませんが、chasenの方が、苦味が強いなあ・・と思いました。

で、結論ですが、日本の茶筌は、優れた作品なんだなあ・・と思いました。

With a Japanese chasen ( a bamboo whisk ), we can make a tea fast and tastily. But with  a chasen, the contents of 【THE TEA CEREMONY】, we can not make a tea fast and that tea tastes bitter. In this year, I attemped several things instead of a Japanese chasen( on Jan. 8/ Jan. 18). I think a Japanese chasen ( a bamboo whisk ) is excellent in various points.

道具の中には、他にも、竹製のものがいろいろありますが、例えば、茶杓や蓋置なんかは、やたら法外な値段がついているものもあります。これは、以前も書きましたが、デパートで、竹の蓋置が、2つで40万円と書いてあるのを見て、スイス人のお茶仲間が、「crazy!」と言いましたが、私もそう思いました。お茶をしている人(外国人も日本人も)が、“竹の蓋置が2つで40万円“ を「crazy!」と思う。でも、店では売られている。と、いうことは、これを「crazy!」と思わない方があるということですよね。先日、とある方が、茶道具を投資目的で持っている人が多い。というようなことをおっしゃいました。それを聞いて、私なら、そんなものに投資せずに、国際的に共通価値のある、金とか宝石とかに投資するのになあ・・・と、思いました。

で、茶筌の話しに戻りますが、茶筌というのは、茶道具の中では、“消耗品” という扱いになっています。確かにそうなのですが、これは、お茶の味に直接影響する、他には代用がきかない、非常に重要なものです。今年になってから、泡だて器(2007年1月8日)、水筒でシェイク、チークブラシ(2007年1月18日)と、いろいろと試みてみましたが、改めて、日本の茶筌は、抹茶の持ち味を最大限に生かす、ほんとに優れたものなんだなあ・・と思いました。

他の竹製品、例えば、竹の茶杓や蓋置は、茶杓はスプーンなどを使えばいいわけですし、いくらでも代用品があります。そして、これらは、お茶の味という点に関しては、直接は関係のないものです。でも、位置づけとしては、特に茶杓などは、特別なものとして扱われています。

茶杓を削った過去の茶人に対する“思い入れ”というのは、悪いことではありませんが、私個人の意見としては、茶筌と、茶杓や蓋置などは、立場が逆転してもいいかなあ・・と思います。今の私の中では、茶筌の方が重要なものです。どちらかというと、竹の茶杓は、掬いにくいですし・・。これは、何事にもいえることだと思いますが、これはこうである、と言われてきたから、今までこうだったから、教えられたから、盲目的にそれに従う。のではなく、物事をいろんな角度から見てみる。今まで言われてきたことが、一体、いつからそう言われているのか、そうなったのか?その根拠はなんなのか?等、を見直してみることが必要ではないかなあ・・と思います。

仮に、私が将来、有名な茶人になったとします。そして、私の作った茶杓が、私の死後、何百年か後に、美術品として売買されているとします(今のところ、2つしかないので、貴重品です・・・)。という風に考えてみると・・・・、私は全然嬉しくありません。「茶人やったら、自分の茶杓ぐらい、自分で作れよー」っていう感じです。さて、昔のお茶人さんたちは、どう思っていらっしゃるでしょう・・・。

では、また野球の話。yankeesさん、プレーオフ進出が決まられたのですね。おめでとうございます。私、プレーオフって見たことがないので、見るの、楽しみです。日本でも、テレビで放映されますよね?英語の勉強も兼ねて、yankeesさんのHPをちょこちょこ見ているのですが、readingの方は、まあ、なんとかだいたいわかっても、listeningの方がねぇ・・。“play station”とか、“party”とか、聞き取れた単語から、大体わかった気になっているのですが、「Please speak slowly」って、言いたい感じですね・・。

茶筌  A chasen ( a bamboo whisk )

Img_4997 点前座の写真です。

以前ご紹介した、 【THE TEA CEREMONY】についていた4種類の道具を使いました。

I used the contents of 【THE TEA CEREMONY】.

書き出しますと、These are

*Incence and holder 

*a fukusa

*a traditional tea bowl

*a bamboo whisk

です。

Img_4977

Incence and holder  を除く、あと3つは、この中にあります。

で、この中の道具から、今日は、茶筌(chasen)に注目してみます。茶筌、2つありますよね。茶巾を何枚か使うことはあっても、茶会で、茶筌を2つ使ったのは、初めてじゃないかなあ・・と思います。私、最近、“初めて”というのが、やたら多い気がします・・・。

点前の稽古の中に、貴人さんだけ専用の道具を使う、その他の人々とは別の茶碗や茶筌を使う、というものがありますが、今回は、そういうことではありません。こうやって改めて考えてみると、今の時代、“貴人”とは、具体的にどういう人のことを言うのでしょうか?これは、昔の話で、今はみな平等なんでしょうか?

この2つの茶筌のうち、手前は、日本製、奥は、日本以外の国で作られたと思われる茶筌です。

Img_4879

Img_4892 Img_4896

左が、どこかの国で作られた茶筌、右が日本製です。

The left one is made in other country. The right one is made in Japan.

この、アメリカでみつけた茶筌、奈良、高山の茶筌の専門家に見ていただいたのですが、こんな茶筌は初めて見た、とおっしゃっておられました。

Sweets made in USA & Japan 2

先日のお菓子の続きです。

I will continue 【Sweets made in USA & Japan】.

Img_4989_2 Img_4834

Img_4818_2

こちらは、dark chocolate EDAMAME です。アメリカのスーパーで見つけました。枝豆って、世界共通語なのねぇ・・と、枝豆を見直しました。軽く塩味がつけてあって、おつまみ、お菓子、お茶うけとか・・、いろんな用途にいけそうだなあと思いました。

Img_4839_2お菓子器は、シュガーボックスです。

雑貨屋さんで、みつけました。これ、お菓子器にしたら、おもしろいんじゃないの、と、以前購入したものです。日本製です。

These are “dark chocolate EDAMAME ”. I found them at the(→a) supermarket in USA. I was surprised because I didn't know EDAMAME is a common language in the world. A (→The) bowl for sweets is an originally sugar bowl(→is originally a sugar bowl)

Img_4990

こちらは、カステラです。

dark chocolate EDAMAME の EDAMAME は、日本からアメリカへ渡ったものですが、このカステラは、逆に、ポルトガルから日本へとやってきたものです。でも、もう完全に、日本風、日本のものになっていますよね。

外来の伝統文化も、このお菓子たちと同じような形で、それぞれの国に根づくのかもしれませんね。

These are Castella(kasutera). Kasutera is originally Portuguese sweet(→sweets). But a present kasutera made in Japan is a Japanese style kasutera.

I think traditional culture may take root like these sweets in other countries.

Sweets made in USA & Japan

Img_4984_2先日の茶会のお菓子です。

アメリカでみつけてきたお菓子を中心にして、まとめてみました。

These are sweets of a recent chakai. Some of them are made in USA I bought last month (→ Some of them are USA origin, which I bought last month / I bought some of  them in the United States last month).

Img_4988

右下は、アメリカのイタリア食品店で買ってきた、チョコレート。

左上は、日本のお干菓子です。菊の形です。

The lower right are chocolates made in USA. I bought them at an Italian grocery.

The upper left are dry sweets made in Japan. These are the shape of chrysanthemum (→ chrysanthemum-shaped ).

中央は、香合です。出雲大社の神殿の古木で作られたものです。縁結びの神様なので、香合の箱書きには、“むすぶ”と書いてあります。お菓子皿の下に敷いてある白い紙と、白い“むすぶ”は、同じ紙、御茶席用りゅうさん紙です(2007年1月19日の記事参照)。この紙、こういう使い方もあったのね・・・と思いました。アメリカと日本を香合で結んでみました。

上の写真を見ていて、「あれ、なんで、葉っぱがこんなとこ(花の上)にのってんの?」と、思い、よくよく見ると、私、こんなふうに置いてへんにゃけど、びみょーに違う、えーっ、???という感じでした。で、しばらく考えて、あーっ!とひらめきました。これは、今、5歳か6歳のYちゃんだと思われます。茶会の前に、確かに、彼は茶室にいましたし・・・。

Img_45741_3

こちらは、以前ご紹介した『THE TEA CEREMONY』のお香です。

先日は、このお香を使ってみました。

これが、見事、3つに折れているのを、茶会の前に発見しましたので、今後のこともあるし・・と、「あーっ、お香が折れてる。だれー、これ折ったん。Yちゃんやろー。あかんやん」と、大騒ぎをしてみました。すると、彼は、「あー、ばれちゃったー」という顔をしていました。で、私は、その時、早く気付いてよかったーと、思ったわけですが、お菓子のことは、この写真を見るまで、全然気付きませんでした。なんと、彼の方が一枚上手だったようです・・。

加点方式茶会 The optional style of chakai

Img_4986_2先日の茶席の写真です。

This photo is my recent chakai.

ほんとは、少し前からあたためていたことが、やっと形になったので、そのしつらえにしていました。が、当日はとても暑い日で、プラス、クーラーもない部屋ですので、急遽、茶会の30分前に、水(氷)点てにすることにし、半分くらい道具を入れ替えて、このようになりました。“あたためていたこと”は、また、日を改めてご披露したいと思います。

この写真には写っていませんが、手前の方に、床の間があって、昨日ご紹介した、軸物がかかっています。

で、写真の奥の方に、花が生けてあります。

お客様は、写真の手前の方にお座りになりましたので、軸物には背を向けて、花は、お座りになったところから見える位置にあります。

Img_4981_2こちらです。

どこかの国の花器に、秋海棠と、サクラタデかな?に、むかごが巻きついたもの、が生けてあります。

手前に、ポロンと落ちているのは、途中で落ちてしまったむかごです。実りの秋の始まりです。

先日、めの字さんが書いて下さったコメントを見ながら、考えていたのですが、茶会をする場合に、減点方式でなくて、加点方式にしたらどうだろう・・と思いました。

それは、どういうことなのかと言いますと、何か、茶会とはこのようなものである、こういう道具をつかうものである、こういう場所でするものである。という、できあがったもの、完成されたイメージがあると、それから、私は、これがない、これもない、これも足りない・・と思ってしまいますよね。

で、この考え方を、逆転させて、極々基本的な線を決めておいて、それに、私は、これがある、これならできる、これは外せないから入れておく・・という風に、加点方式にしたらどうだろう・・と思うのです。

In chakai, many tea utensils are used.  But now, we do not use most of them in our daily life, only chakai. I feel we must consider which one is most necessary for chakai. Because very few people have a tea room or many tea utensils in their home in Japan, not to mention in other countries.

例えば、花器に花を生ける、ということは、みな共通の、基本的なものに入れてもいいのではないかなあ・・と思います。砂漠などでは難しいかもしれませんが、花や花器は、日本はもちろん、世界中、どこにでもあるもの、と言えると思います。花は、自分で切ってきた方が望ましいですが、難しいようなら、花屋さんで買えばいいですし、花器の方は、必ずしも花器として売っているものでなくても、自分の周りを見回すと、花器になるようなものがたくさんあると思います。で、せっかくですから、お花は、お客様がお座りになった位置から見える場所に置く方がいいのではないかなあ・・と思います。

先日、ある方が、「このお花は、今日、私達のために、わざわざ生けてくださったんですね」と、おっしゃって、とても喜んでくださいました。そういう風に意識して花を生けたことはなかったのですが、言われてみると、心を込めて花を生けるということだけでも十分に、おもてなしの気持ちを表すことができるのだなあ・・と思いました。

で、花とセットの軸物ですが、これは、基本的なものからは外して、オプションでいいのではないかなあ・・と思います。本家本元の日本でも、床の間は、すべての家にあるものではありませんし、ましてや、日本以外の国では、ないのが普通だと思います。軸物の方も、一本もない、というお家もあると思います。茶会では、床の間に、軸物を飾るものである。と思うと、床の間も軸物もないし、茶会はできないなあ・・、と思わないといけませんが、オプションなら、まあ、なかったらなかったでいいか?、と、肩の力を抜いて茶会を楽しめるのではないかなあ・・と思います。

今は、こういったことを、1つ1つ、見直していく時期なんじゃないかなあ・・と思います。

8年目がスタート The eighth year of hanabira-kai

葩会は、9月から、8年目がスタートしました。

The eighth year of hanabira-kai has begun in September.

と、いうことで、

Img_4869

先日の茶会は、このような床飾りにしてみました。

『八(=8)』です。

『八(hachi)』 means 8.  I wrote these kanji;  Chinese character myself.  This was the first time I used the scrolls I wrote myself in chakai.

今回、初めて、自分で書いた字を床の間に飾ってみました。この床飾りは、「茶会の軸物とはなんぞや?」という問いかけです。

茶人が自分の書いた軸をかけるのは、よいことなのか、よくないことなのか?もし、よくないのなら、なぜよくないのか?自分の茶会に使わなければ、自らが自らの軸を使わなければ、茶会に茶人の軸をかけてもいいものなのか?

これは、私自身に対する問いかけであり、お客様に対する問いかけであり、今の茶の湯に対する問いかけでもあります。

今までも、自分で書いたものを床の間にかけるということを、考えてみたことはあったのですが、どうしても、踏み切れないものがありました。それは、自分で書いたものに、お客様にお辞儀をしていただくというのはどうだろう・・・という思いからです。自分の書いたものに、お辞儀をしていただくというのは、あまりにも、横柄、尊大という気がするからです。

で、この度、じゃ、お辞儀をしていただかなければいいのだ。と思いつき、お客様には、お辞儀をしていただきませんように・・と申し上げました。上の写真を見ていただいたらおわかりになると思いますが、掛け物は、座ってではなく、立って見て頂くとちょうどいい目線になるようにかけてあります。

本体は、以前ご紹介した(2007年3月28日)、掛軸たと紙です。色紙をはさむようになっているのですが、半紙をその大きさに切って、はさみこみました。

何枚か書いたうち、私が2枚選び、どちらがお好きですか?と、お客様にお尋ねしました。

Img_4863 Img_4864

ご意見がわかれましたが、どちらかというと、右側というご意見の方が多かったです。

I asked the guests for  chakai which one did you like?

Their opinions divided.

『八』は、今回の茶会のテーマですが、この字は末広がりなので、8年目のスタートとしては、とてもいいですよね。

THE TEA CEREMONY 2

The rest of the comment concerning about “THE TEA CEREMONY -a fukusa- 4”.

先日のコメントの続きです。

で、the tea ceremonyセットですけど、こういうものは要するにおままごとセットのようなものなので、たとえそれがかなりおかしなものであっても、こだわらずに笑っておけばよい、というのが私のスタンスです。おままごとセットで遊んだ女の子が、それがきっかけで料理に興味を持てばよいわけですものね。
 抹茶をたてるのにどうしてもないと困るものって、実は茶筅と抹茶だけかな、と思います。あとはなんでも代用できそう。このセットは、必需品の茶筅に、とりあえずこちらで手に入りやすかったものを組み合わせてみただけのような感じがします。
 このセットを利用してみて茶道に興味を持った人が実際に始めてみれば、「なーんだ、あれはでたらめだったんだ」って分かりますものね。それはそれでいいのかも。

 でも、外国で見かける日本文化の本物度が気になる、というのは、よくわかります。chajinさんが、自由に道具を見立てて楽しめるのは、日本文化や茶道がしっかり分かっていて、かつどっぷりその世界に浸かっているから。だからこそ、はずれられる。けれど、分かっていない人に見せる場合は、まず伝統に忠実なものを。やっぱり帛紗が「はぎれ」では困る。そういうことですよね。
 ...最近、日本の外務省が、海外の「日本食レストラン」を調べて「ほんものの日本食」かどうか、認定するということを行った(あるいは、行うことになったのかな?)そうです。わたしなどからみると、「わざわざよその国まで行って、よけいなお世話や。ほっといたら?」と、思うのですが、日本をよく知らない人から、日本食じゃないものが日本食と呼ばれることが気に入らないようですね。
 こっちで曲がりなりにもお茶をやろうと思うと、実際に伝統に忠実なものが手に入りにくい(あるいは不可能な)環境で、どこまで忠実ならお茶なんだろう、どこまでなら誤解をうまずにはずれられるんだろう、と考えざるを得ません。
 chajinさんのブログでの考察は、そういうことを考えるためにいろいろな糸口を提供してくれていると思います。

私の説明不足。というところが感じられましたので、もう1度、THE TEA CEREMONY  の中身をご紹介します。

Img_4792_3

Img_47981_2

*Okakura Kakuzo's classic work “The Book of Tea” with a new Afterword “How to perform a tea ceremony” for recreating a 【thin tea 】 ceremony in your home. 

*Incence and holder 

*a fukusa

*a traditional tea bowl

*a bamboo whisk

ちょっと補足しておきますと、本ですが、中身は、岡倉天心の茶の本と薄茶の点前、点て方が書いてあります。ざっと読んだだけなのですが、点前については、鏡柄杓のこととか、事細かに書いてあるようです。これを読んで、家でこの通りにできるのなら、お稽古には行かなくていいなあ・・と思いました・・・。

私は、このセットはとても興味深いなあ・・と思いました。

これを見ていて感じたのですが、茶道具は、大きく分けて2つの要素から成り立っているのだなあ・・と思いました。上の写真でピンクのリボンがありますが、それが境界線です。で、この場合、袱紗とお香、茶碗と茶筅の2組に分かれるわけですが、前者は、必需品かどうか?がつくもの、後者は、必需品に属するもの、です。もちろん、茶碗は、丼でも構わないのですが、何かボール状のものは必要ですよね。

で、私は、最近、袱紗不要説を唱えているのですが、この白いfukusaを見て、「これって、私に対する挑戦状?」という感じもしました。このセットを作られた方が、適当に組み合わせたのかもしれませんが、ある意味、茶の湯の本質を突いているかも・・と思いました。

茶の湯が、tea ceremony と言われる所以、 “ceremony” の要素を生み出しているのは、茶碗とか茶筅のような必需品ではなくて、袱紗やお香のようなものかもしれないなあ・・と思いました。

私は、これを、“でたらめ” だとは思わないです。これを、“でたらめ” というなら、何が、“でたらめ”でないのか、ということになりますよね。うまく言えないのですが、場所や道具が最高のものであっても、“でたらめ” になることもあるし、逆に、場所や道具がとても最高とは言えなくても、“本物”となることもあるのではないかなあ・・という気がしています。

で、私が、海外の日本のものに興味があるのは、深い意味は全然なくて、ただ、おもしろいから!です。例えて言うと、ほっぺたが、ヒクヒクするような、脳が活性化されるような、おもしろさ、とでも言えるでしょうか?世界中の日本料理店に行ってみたいです。ただ、日本のものをそのまま・・・というのには、興味がありません。それぞれの国の中にどう溶け込んでいるのか、が、興味があるところです。誰か、連れて行ってください・・・。

脳が活性化されるような、示唆に富んだコメント、ありがとうございました。また、よろしくお願いいたします。

茶巾 -南方録からー  a chakin(a white cloth used to wipe a tea bowl) -from Nanpouroku- 

真、草の茶巾について。正式の真の茶巾は、縫いかがりがなくても大きくて半分に折って使うからよいのかもしれません。でも、帛紗はやっぱり、きりっぱなしじゃ、すぐに、ほつけてきちゃいますよね。
それにしても、縫いかがりのあるのが草、大きいけど縫いかがりがないのが真、ということは、昔は手間賃の方が材料費よりうんと安かった、ということなのか、それとも「真に草あり」の一環なのか、どちらなのでしょう?

From the last comment concerning about “THE TEA CEREMONY -a fukusa- 4”.

前回の記事について、めの字さんから、上記のコメントを頂きましたので、茶巾について、補足します。

結論から言いますと、この箇所に関しましては、研究会の中でいろいろとみんなで議論したのですが、保留ということになりました。これは、『南方録』を読んでいただくとおわかりになると思いますが、この箇所だけを読んでも、当時、どういうお茶が行なわれていたのか、どういうことが一般的であったのかが、はっきりしないからです。これをはっきりさせるには、同時代の茶書を丁寧に読み比べてみないと、昔はこうだったと断言するのは難しいと思います。

では、この箇所から読み取れる範囲で書いてみますと、

まず、真の茶巾と草の茶巾の大きさの違いについては書いてないので、違う大きさなのか、同じ大きさなのか、どちらが大きいのか、あるいは、この2つで素材が違うのか等は断定できません。『南方録』を読んでいて思うのですが、今の流派のやり方は、何百年も前のものをそのまま踏襲しているわけではないようです。『南方録』という書物の信憑性という問題は、横に置いておくとすると、今まで私が研究会で読んだ中でも、私が今まで習ってきたことと『南方録』に書いてあることが異なる、ということがたくさんでてきました。古典を読むと、お稽古場で習ったことが、ずっと昔からそうだったわけでない、いつの時代からか、そうなったこともたくさんあるのだなあ、いろいろと変化しながら踏襲されて来たのだなあ・・ということに気付かされます。

真の茶巾については、この箇所を読むと、茶巾で釜の蓋を取るということが、書かれています。それは、濃茶を一服点てたら、その茶巾は無用で、後で用いることがないから。というような理由のようです。これを読む限りでは、真の茶巾は1回限りの使い捨てだから、端を縫う必要がないのかなあ・・という気もします。この他、いろいろと書いてあるのですが、当時、何か“普通”だったのか、が、わからないと、読み解けないなあ・・と思います。

・・・chajinさんのブログでの考察は、そういうことを考えるためにいろいろな糸口を提供してくれていると思います。

と、書いていただきましたが、私も、いろいろな糸口を提供していただいたなあ・・と思います。ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします。

コメントの続きにありました、the tea ceremonyセットにつきましては、また日を改めて書きます。

Img_4789茶巾です。

This is a chakin(a white cloth used to wipe a tea bowl).

何べん使ったか全く覚えていないほど、使い込まれた代物です。

上と下が縫ってあるの、わかります?

THE TEA CEREMONY -a fukusa- 4

Img_45881_2この白いfukusaを初めて見た時、これって、はぎれやん、と思いました。こんな糸がひょろひょろんと出てるのって、どうなん?という印象でした。

ですが、しばらくして、これは、そう侮れないぞ・・と、見方が変わりました。

なぜ、変わったのかと言いますと、少し前に『南方録』の研究会で読んだ箇所を思い出したからです。それは、袱紗ではなくて、茶巾についての記述なのですが、

・・・・惣テ端ヌハズニタタミタルガ茶巾ノ眞也、名物天目、又ハ茶盌モ秘蔵ノ物ニ眞ニスベシ、端ヌイシテ、シボリフクタメタル類ハ草ノ茶巾也、取チガヘテ心得ル人アリ、・・・・

とあります。Quotation from Nanpouroku(南方録), old-famous tea book.

これは、袱紗ではなくて、茶巾の話しですが、上の写真でいくと、端を縫わない方が真行草の“真”、端を縫った方が“草”になるわけです。

『南方録』において、なぜ、端を縫わない、この場合の白い方が“真”で、端を縫った方、この場合の赤い方が“草”なのか、という問題は、私自身まだはっきりとしないところがあり、これから、いろいろ検討しないといけないのですが、1つ、言えることは、この白い袱紗は、示唆に富んだ存在だなあ・・ということです。もしかして、袱紗というものの、原点といいますか、本質を突いているのかもしれません。

この白いfukusaを見ていて思ったのは、宗恩が利休に渡したきれは、この端縫いしていない白い方のタイプか、端縫いがしてある赤い方のタイプか、どちらであったのだろうか?ということです。茶巾が、端縫いしてない方が“真”ならば、袱紗も、端縫いしていない方が“真”という可能性もあります。そうすると、宗恩が渡したのは、この白い方のfukusaのようなきれだった可能性もあるかも?と思いました。どうでしょうか?

At first, I felt the fukusa( white one) was strange. But later, my opinion has changed. The fukusa may be similar to original one.

THE TEA CEREMONY -a fukusa- 3

Img_4731 私は、最近、茶会で、この袱紗を全く使っていません。

Recently, I haven't used  a fukusa. Because I  don't know whether it is necessary or not for chanoyu.

それは、ほんとにこれが必要なものなのか、自分の中で?がついているからです。でも、やっぱりいるかなあ・・とずっと迷っていたのですが、近頃、2つのことがきっかけで、使うのはやめよう・・と決心しました。

そのきっかけの1つ目は、お子ちゃまの一言です。お子ちゃまに一生懸命、袱紗の捌き方を教えていたところ、ある女の子が、「こういうものは、適当でいいねん」と言いました。で、その言葉を聞いた私は、なるほどなあ、その通りやなあ・・と思いました。

“適当”という言葉がふさわしいかどうかは、よくわかりませんが、茶の湯の流派が、何十とあって、それぞれで、袱紗の捌き方がみんな違うとすると、正解と言われるものが、何十もあるということになります。何十も正解があるとすると、ある意味、なんでもいい、と言えるかもなあ・・と思います。何十も正解があるうちのたった一つのやり方に、がんじがらめにならないといけないものなのだろうか?手の角度とかあれこれ、細かい細かいところまで、みんな同じようにしないといけないものなのだろうか、固執しないといけないのだろうか。ある流派では、間違ったやり方でも、別の流派ではそれが正しいやり方、というようなことがたくさんあるのに、頑として、何十あるうちの1つのやり方に、一挙手一投足従う、他のやり方は間違い、と排除してしまわないといけないのだろうか?と、思ったわけです。

もう1つはのきっかけは、ある茶会で、袱紗で清めるところを、袱紗の代わりに、ティッシュペーパーを使われたのを見て、です。どういうことかと言いますと、袱紗で茶道具を清める場合、2つのパターンがあって、1つは、綺麗なんだけれども、念のため?清める場合。もう1つは、本当に綺麗にする場合、例えば、抹茶のたくさんついている茶杓を袱紗で拭いて、茶杓についた抹茶をとる場合。です。つまり、明らかにきれいなものを清める(拭く)場合と、明らかにきれいではない、汚れているものを清める、この2つのケースがあるわけです。上の写真を見ていただくと、中央の右寄りに、黒くなったところがありますが、これは、抹茶の付いた茶杓を拭いた後です。抹茶がつくと、綺麗に払っても、どうしても後がつきます。この袱紗はシルクなので、よほど上手に洗わないと、縮んでしまいます。洗濯機でじゃぶじゃぶというわけにはいきません。ティッシュペーパーを使われたのは、この汚れが袱紗に付かないようにするためですが、だったら、形だけ袱紗を使うなどということはやめて、もともとティッシュペーパーを使うようにしたらどうだろう・・と思いました。で、私は、最近、ティッシュペーパー、あるいは懐紙で、茶杓に付いたお茶を拭き取っています。

私のお茶の先生のお稽古場では、ティッシュペーパーで拭くなどということはなかったように思いますが、今まで、いろんなところでお茶を点てた時、お客様が、ティッシュペーパーを下さったり、ティッシュペーパーで拭いたら?とおっしゃってくださったことが何度もありました。

なぜ、こういうことがおこるのかと言うと、基本的に、茶会には、新しい袱紗を使うことになっているからです。ですが、1度お茶のついた茶杓を拭くと、必ずお茶の後が残るので、新しい袱紗にお茶がつく、汚すなんてもったいない、ティッシュペーパーで拭いたら?というようなことになるわけです。でも、どう考えても、これは、本末転倒じゃないかなあ・・と思います。

また、流派で違いはあるかもしれませんが、きれいな道具も、お茶の付いているような道具も、いつも、同じところで拭くように決められているので、汚れの付いているところできれいな道具を拭いて、ほんとに清めていることになるのだろうか?、形式的に清めているだけでは?という気持ちが強くなりました。

きれいな道具は、ここの部分で、汚れた道具はここの部分で、と分けるとか、あるいは、洗えないシルクはやめて、洗える素材に変えるとか、きれいな道具は袱紗で拭いて、お茶がついた茶杓のような、本当に清めないといけない道具は、紙で拭くとか、そろそろいろいろなことを、根本的なところから見直したほうがいいのではないかなあ・・と思います。

「袱紗使うの、やめたの?」と、いつかお尋ねがありましたが、袱紗を使うことの意義が見出せるまで、ほんとに必要なものだと感じられるまで、当分はなしでいこうかなあ・・と思います。

THE TEA CEREMONY -a fukusa- 2

Img_45851_2 左の白い方が、 【THE TEA CEREMONY】 についていた、fukusa. 右は、日本で売られている、茶道用の袱紗です。

The left(white one) is fukusa made in USA. The right(red one) is 袱紗(fukusa)made in Japan for Chanoyu.

赤い方の袱紗は、四方の内、 一方が輪になっていて(わさと言います)、残りの三方は縫ってあります。きれが、二重になっているわけですが、この白いfukusaは、四方が縫ってない、一枚のきれです。

Img_45891

この2つの大きさを比べてみますと、赤い方が少し大きいようです。この白いfukusaの寸法がどこから来たのかはわからないので、なんとも言えないのですが、少なくとも、私が今持っている袱紗の寸法とは違うようです。

日本中には、何十という茶道の流派がありますので、どこかの流派の袱紗の寸法を参考にされて作られたのか、あるいは、大体の大きさで作られたのかは  ? です。

なぜ、このようなことを言うのかと言いますと、この赤い袱紗は、厳密に寸法が決まっているからです。

Img_45921_2

このように、2つ折にしてみると、よくわかるのですが、白いfukusaは、ほぼ正方形ですが、赤い方の袱紗は、正方形ではありません。

お茶の先生が、この正方形でないことについて、よく感心されていましたが、正方形でないというところが、数寄、日本的美意識なのかなあ・・と思います。

初めてこの寸法にしたのは、千利休の妻の宗恩で、この大きさを利休が気に入ったので、それ以来、この寸法に定まったというようなことを聞いたことがあります。

この白いfukusaを見ていると、清めるというだけなら、茶道具を傷めるようなきれでなければ、どのような寸法でも、どのようなきれでも、良さそうな気もします。利休の定めた寸法をずっと守り続ける、改めて考えてみるとすごいことだなあ・・・と思いました。

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

フォト
2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ