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2007年1月

初釜料理 その2

初釜のお料理の続きです。

すりおろしくわい、長芋の海苔揚げ。

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これは、お寺のお正月のお料理です。毎年、和尚さまが作られます。

私は、おせち料理のくわいが余ったら、作ります。昨年も作りました。

材料は、くわい、長芋、海苔、油、塩です。

作り方は、くわいの皮をむいて、すりおろし、それに、長芋の皮をむいて、すりおろしたものを混ぜ、この2つを混ぜたものを小さく切った海苔の上にのせ、油で揚げます。まず、海苔の面を上にして揚げ、途中で、ひっくり返して、写真のようなきつね色になるまで揚げました。そして、揚がったら、最後に塩をぱらぱら・・・とかけます。くわいと長芋の分量は適当でいいと思いますが、今回は、半々くらいかな・・と思います。

もちっとした独特の食感があります。お寺の人気メニューです。私も今まで、いろんな方に召し上がっていただきましたが、子供にも大人にも大好評の一品です。

今回は、日本の普通の海苔と、頂いた韓国海苔の両方を使いました。韓国海苔は、そのまま食べると日本の海苔とだいぶお味が違うなあと思うのですが、揚げてしまうと、ほとんど違いがわかりませんでした。海苔の薄さの違いくらい・・。

この籠は、しょっちゅう登場しますが、元はこの中にお弁当が入っていました。この籠、ほんとに重宝しています。Aちゃんかな?椿の葉っぱでかわいく飾りつけして下さいました。

では次に、堀川ごぼう含め煮。

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京野菜の堀川ごぼうです。

昨年の12月29日の記事に写真が出ていますが、長さは、60センチくらいはあると思います。

「うわー、大きいごぼう・・」と、初めて見る方は驚かれます。

表面を水でよく洗って泥を落としたあと、たわしのようなものでちょっとごしごしと洗って、1センチくらいの太さに斜めに切り、それをしばらく熱湯でゆがきました。食べてみて、少しやわらかくなったかなあ・・というくらいまで。

そのあと、昆布とかつおの出しでことことと煮て、酒、醤油、みりんで味付けしました。少し、心持ち、濃い目のお味にしました。食べてみて、やわらかくなったら出来上がりです。

上に散らしてあるのは、毬麩と花麩です。これで、ちょっとお正月の雰囲気を出してみました。だし、醤油、みりんで、堀川ごぼうとは別鍋でさっと煮ました。煮過ぎると、とんでもないくらい大きく、麩が膨張します。

堀川ごぼうの上に、この麩を散らし、仕上げに七味をふりました。これは、精進料理屋さんで、堀川ごぼうに山椒がかかっていたのを思い出し、やってみました。アクセントになって美味しかったです。

ごぼうだなあ・・とごぼうをしっかりと味わうお料理です。これだけ大きいと一切れでもすごく食べ応えがあります。

初釜料理

先日の茶会は、炭手前、お昼(昼食)、薄茶でした。

では、初釜の料理をご紹介します。

初釜なのですが、少し遅い目ですので、お正月料理の食材をちょっとアレンジしてみました。

Img_1433_1 献立は、昆布巻き(シャケ、ツナの2種類) ・ 数の子サラダ ・ すりおろしくわい、長芋の海苔揚げ ・ 堀川ごぼう含め煮 ・ 小芋田楽(柚子味噌、くるみ味噌2種類) ・ 干物2種 ・ 出雲風雑煮 ・   飲み物は、白ワインと大福茶 でした。

では、まず、昆布巻き。材料は、昆布、かんぴょう(いつかご紹介した友達のお母さまが作られた)、シャケ、ツナの缶詰です。

昆布は、水にしばらくつけておき、巻けるくらいやわらかくなったら、まな板の上に置き、その上に、戻したかんぴょうを置き、シャケをかんぴょうでくるみ、それを昆布でくるくると少しきつめに巻き、昆布がほどけてこないように、かんぴょうでしっかりと結びました(下の写真)。ツナも同じようにしました。

かんぴょうの戻し方は、いろいろあるようですね。さっと洗ったあと、塩をふりかけてよく揉み、塩気を水で洗い流し、熱湯でさっとゆでる等。今回頂いたような無添加のやわらかいかんぴょうは、塩もみ不要と何かに書いてありました。塩もみするのは、昔からの知恵のようですが、味を染みこみやすくする、保存料の匂いをとるといった効果があるようです。

このかんぴょうは、ところどころ緑色のところも残っていて、夕顔をむかれたものというが、よくわかりますね(下の写真)。とても美味しいかんぴょうでした。

シャケ、ツナをかんぴょうで巻いたのは、実は、一度作ってみたら、中のツナが煮ている間に全部出てしまい、中が空洞になってしまいました。そこで、ツナやシャケが出てしまわないようにかんぴょうで包んでみました。これを、かつおと昆布の出しに、醤油、みりん、酒で少し濃い目に味付けして、昆布に味が染みて、ふわっとやわらかくなるまで、蓋をして、ことことと煮ました。中のかんぴょうにも味がよく染みてとても美味しかったです。

シャケ、ツナ、2種類の昆布巻き、ハランと万両を使って、Aちゃんがとてもきれいに盛り付けてくださいました。

Img_1322_1        Img_1424_1                       Img_1328_1  

Img_1430_2次は、数の子サラダ。

材料は、前日から塩抜きした数の子、大根、レモン、水菜、ほうれん草、ふのり、ポン酢です。

ふのりは、たまたま頂いたものがあったので使ってみたのですが、乾物でしたので、熱湯でさっとゆがいて、水洗いしました。ゆがいた後は、ものすごい磯の香りがしていたのですが、サラダにまぜてしまうと、磯の香りは飛んでいました。海草サラダのようなものでもいいと思います。数の子が海のものなので、入れてみました。

数の子は食べやすい大きさに切り、大根、レモンは薄い銀杏切り、水菜、ほうれん草はよく洗って食べやすい大きさに切り、同じく食べやすい大きさに切ったふのりを、器に入れ、食べる直前にポン酢で合えました。こちらは、Yさんが担当してくださいました。

味の濃い料理が多いので、こういうサラダ、さっぱりしていて食べやすかったです。レモンもかんぴょうの同送品です。ですので、安心して、レモンの皮も使いました。

炭手前 その2

阪急の創業者でいらっしゃる小林一三さん【1873年(明治6年)~1957年(昭和32年)】は、実業家でいらっしゃると同時に、茶人でもいらしたのですが、この小林一三さんが、炭手前についてお話しされている箇所をみつけましたので、ご紹介します。

炭點前を取上げると、胴炭、割炭、長炭、枝炭等々、その組合せもコレコレ斯く斯くと言ふが如き點になると、一俵何百圓もする櫻炭、それをそろへてお炭をすると言ふことも間違つてゐる。手元に有合せのゴロ炭でもよい。無駄のないやうに、火のおこりやすいやうに、お茶の煮えの松風の音、順序よく運べばうまくゆくものであるから、我々は、炭の節約によつても、爐中に風情を添へることの出來る工夫が必要である。炭斗も、爐、風爐と區別することの無意義に終ること、況んや、唐もの、和ものの大小形状の如何によつて、爐には使へない、風爐には無理だと言ふが如き舊觀念を拂拭して、新しく炭點前を考ふべしである、灰器の取扱ひ方も又變つてくる。・・・・・・・

Pict4630_1 私が、炭、炭手前が必要かどうか、と考えるのは、いくつか理由があるのですが、主なものは2つです。

1、お茶の炭は高価である

2、今の日常生活において、お湯を沸かす時は、ガスや電気を使っていて、炭は特に必要がないものである

まず、1ですが、お茶に使う炭は、バーベキューの炭とかに比べて、格段に高いですね。こんな高い炭、使うのやめようかなあと思ったことが何度もあります。私は、炭について不勉強なので、どなたかよくご存知の方があれば教えていただきたいのですが、いつか、何かで読んだところによりますと、値段が高いのは、お茶をしている人に原因があるようでした。どういうことかと言いますと、炭の寸法が決まっているので、その寸法に合わせようとすると、100本作っても、お茶の炭として使えるものは1本以下であるというようなことが書いてありました。自然のものを、人が作った規格に合わせて、かつ、端が欠けたりしているものはだめ、となると、確かに合うものは少ないように思います。もし、これが事実なら、寸法が決まっていなければ、見てくれを追究しなければ、炭として作られたものをすべて使うことができ、私達ももっと安くで買えるのでは?と思いました。

また、とても気になったことは、細い炭をつくるため、本来ならもう少し置いておいたほうがいい若木を切って、炭にしなければならないというようなこともどこかに書いてありました。もし、そうならば、お茶の精神には反しているように思います。最近、“花は野にあるように”に従って、虫食いの葉っぱはそのまま使うようになりましたが、炭も、“炭は木として森林にあったときのように”と考えると、人の都合を木にあてはめなくてもいいのではないかなあと思います。木に人が添う、自然を大切に活かす、生かすことが大事なのではないかなあと思います。

この辺のことについては、よくご存知の方がいらっしゃいましたら、お教えください。

次に、2ですが、私は、普段お湯を沸かす時、ガスか電気を使っています。炭を使うのは、お茶のときだけです。例えば、千利休の時代、江戸時代も、木が大切な燃料だったと思います。でも、今は違います。もし、秀吉や千利休が今の時代に生きていらしたとして、電気やガスで簡単にお湯が沸かせる今、炭を使い続けられるでしょうか?ご本人達に伺ってみないとわかりませんが、頑として炭にこだわられるのか、わからないですね。先日、千利休が今の時代に生きていたら、茶室で写真をばちばち撮らはると思う、とおっしゃってた方がありましたが、カメラがあれば、秀吉とかも使ってはったと思います。大名一同、写真撮影会とかがあったかもしれません。

炭は、茶会の時空間を作り出すものではないかなあと思います。ガスや電気ではこれは無理です。炭がおこってくるに従って、お湯が沸いてきて、炭が燃え尽きてなくなっていくと、しゅんしゅんというお湯の音(煮えの松風の音)がすーっとおさまっていく。ガスや電気では、この時間の流れは作り出せないですね。

炭なら、どんな炭でもいいのかもしれませんが、いつか、頂いた、お茶用の炭ではない炭をつかってみましたら、なんか、ちょっと変な臭いがしたことがあります。また、このお茶の炭、クヌギの炭は、見かけが美しいだけなく、火の持ちもよいようです。海外のお茶仲間に聞いてみますと、見かけは同じような大きさでも、この日本のお茶の炭の方がずっと長い時間火がもつようです。

以上、まとまりがありませんが、炭のことは、もうしばらく保留にしておきます。

炭手前 その1

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これは、先日使った炭です。炭手前に使った炭と、下火となる3本の炭です。

お茶の炭については、必要か必要でないか・・ということから始まって、いろいろ思っていることがありますが、保留中です。いつか、お茶の炭を作られている方が、お茶をしている人は、炭に無関心だ。とどこかで書かれていましたが、私も不勉強なので、その通りだなあと思います。お茶って、ほんとに多くのことが含まれていますね。

で、保留は保留としておいて、少し前にりんごのお話しをいろいろとお伺いしましたが、そのことで、ちょっとこの炭に対する見方が変わりました。

何が変わったのかと言いますと、それまでは、炭は“燃料”という意識が強く、形もできるだけまっすぐなものがいい炭である。と思い込んでいました。でも今は、、木の個性を尊重するということも大事なのでは?、むしろ、その個性を楽しんだらどうだろう・・と思うようになりました。そこで、今回は、今までだったらのけていたかもしれない炭も取り入れて、白い枝炭は、白が少しはげたものも混ぜました。

今までは、“燃料”として、決められた通りに、決められたやり方で無雑作に炭を扱っていました。茶の湯の「湯」。これを作り出してくれるものとして、尊重する気持ちが欠けていたかなあと思います。そこで、今回は、炭手前の時に、炉の近くにいらっしゃるお客様方に、「この炭はこういう特徴があります」と、1本1本見ていただいてから炭をつぎました。個性的な炭を積極的に取り入れたせいもありますが、どうしてこういう斜め線が入るのか?とか、注目してみると、いろいろと不思議でした・・。

床飾り

Img_1480_2先日、かけるのをやめたお軸です。

これは、私にとって、とても大事なお軸です。

ちょうど10年程前になりますが、宇治の黄檗山万福寺の管長様から頂いたものです。絵画賛で、絵も字もその管長様が書かれたものです。七福神の福禄寿で、“笑門福来”と書いてあります。お正月にぴったりですよね。

中国旅行のツアーをご一緒させていただいた、黄檗宗の和尚さまがお連れくださいました。何回か連れて行ってくださいました。

これを頂戴したときのことは、とてもよく覚えています。いつも、お連れ下さる和尚さまを含め、4人でお伺いしたのですが、管長様は、4人分4枚違うものをご用意して下さっていました。そして、管長様ご自身で、白い紙であみだくじを作ってくださり、私達がそれぞれ選ぶと、鉛筆かなにかで、線をなぞられて、じゃ、あなたはこれ、あなたはこれ・・・とお渡し下さいました。

ちらっと見たところによると、線の先は白紙だったか、管長様しかおわかりにならない記号だったか、福禄寿とかいてあるような感じではありませんでした。恐らく、誰にどれをお渡しになるのか、決まっていたように思います。私以外の方は、世代が上の方々でしたので、私には、これが一番ぴったりだなあと思いましたし、他の方もそれぞれに合うものを頂かれていたように思います。あみだくじは、管長様のご趣向だったと思います。

で、この表具は、そのお連れ下さった和尚さまが表具屋さんにお願いしてくださって、できあがったものを送って下さいました。今、思い出したのですが、あの人たちもきていいよっと、管長様の晋山式にも、ご招待してくださいました。たいへん厳かな儀式で、どこか中国を連想するような感じだったのを覚えています。

で、この大事な大事なお軸の替わりに登場したのは、こちらです。

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大伴家持の和歌です。

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事   (新年を迎えためでたい今日、降りしきっている雪のように いよいよ積もり重なれよ、めでたいことが)と仮名で書いてあります。

黒の塗りの敷板の上に置いてあります。

こちらは、昨年末、本日のお正客さまから付属品としていただきました。何の付属品かと申しますと・・・、

お菓子です。

新年のお菓子の熨斗紙です。私が4箇所ほど貼り付けをして、左隅のお菓子屋さんの名前が書かれているところは折り曲げて完成しました。お菓子屋さんにお電話して、これは、どなたが書かれた字なのですか?とお尋ねしますと、デザイン会社にまかせているので、詳しいことはわからない。との返答でした。 わからない? ちょっと驚きでした・・・。

床の間も軸物も、特に今は、どこの家にも必ずあるというものではないと思います。床の間も軸物もないから、お茶はできない。のではなく、身の回りを見回して、あるもので工夫すると、いろいろなお茶の楽しみ方ができるのではないかなあと思いました。

大吉おみくじ付き茶花

Img_14221_3先日の、床の間です。

花は、紅い藪椿と白のワビスケを生けました。新年のお祝いということで、紅白の椿です。またもや、芸術的な葉っぱがたくさんついています。

花器は、能登半島の珠洲焼きです。で、その花器がはいっている四角い箱は、もと、煙草盆としていただいたものです。が、茶室は禁煙とし、煙草盆は使わないことにしたので、箪笥の肥やしになっていました。それが、この度、花の付属品として登場しました。お正客さまは、煙草を吸われる方だったのですが、外で吸って下さったようです。すみません・・・・・。

花に結んである白い紙は、初釜では、たらーっと長い柳を結んだ、結び柳を使うことが多く、あれ、いつから初釜に使うようになったのでしょう?私も何度か使ったことがあるのですが、その結び柳の替わりに紙を結んでみました。柳を結ぶのは、昨年と今年を結ぶ、人と人を結ぶとか聞いたことがあります。もとは、中国の送別の風習から来ているそうですが、送別だったら、年末って感じもしますね。この白い紙は、新年ですので、初詣のおみくじが結んであるという趣向です。“幸多き1年”と書いてある大吉です。と思ってください・・・。

左は、和歌です。

はじめは、軸がかかっていたのですが、花、軸、この和歌、の3つを床の間に飾ってみて、結果、軸をやめて、花とこちらの和歌を使いました。あとで、お正客様から、どういう軸をかけていたのか、どういう軸をかけるのをやめにしたのか、とお尋ねがありました。

なぜ、軸をやめたのか。その軸は、私にとって大切なものなので、正直、私自身もよくわからないところがあります。でも、1つ言える事は、この花との取り合わせだと思います。今まで、これは茶花、これは生け花、と自分のなかで分かれていましたが、今は、茶花でも生け花もなく、私が生ける花。これ1つになったように思います。で、この花は、軸物に合いにくかった。なんとなくですが、“洋”の要素が入っているような気がします。花、花器、飾る場所、すべて“和”なのですが・・。

花を生ける、私が変わったのだと思います。同じものを見ても、今までとは別人が見ているような、外国人になったかのような・・・。ちょっと不思議な気持ちです。

では、その軸、そして、この和歌につきましては、日を改めて書くことにしようと思います。

ペーパー製香合

Img_1358_1左は、昨日使いました香合です。

このブログを見て下さった大学時代の先輩が、先日、勤務されている博物館の茶道具に関する図録を送ってくださいました。

その中に、現在では、風炉(5月~10月ごろ)は、塗り物や貝の香合を使い、炉(11月~4月ごろ)には、陶磁器の香合を使う。と書いてありました。で、今までは、私もだいたい、これにのっとってきました。

このペーパー製の香合は、先月初めて、お土産にいただいた、イタリアのペーパー製の香合(下の写真)を使い、それにヒントを得たこと。そして、昨日ご紹介した干し柿を試食した時、蔕が残ったのですが、とてもかわいかったので、なんかに使えないかしら・・と思ったこと。この2つから出来上がりました。

Img_0663_3  Img_1371_1                          

茶色っぽい紙は、以前、佐賀県のまるぼうろというお菓子を使いましたが(2006年5月26日の記事)、そのお店をご紹介してくださった方が来て下さいましたので、そのお菓子の包装紙を使いました。 内側、角っこは、別のお菓子屋さんの包装紙を使いました。表面は、干し柿の蔕に、乾燥して押し葉のようになったイチョウの葉を使いました。で、中に椿の葉を入れて、その中に練り香を入れました。

では、この本体は?

お客様にお伺いしたのですが、正解は出ませんでした。正体は、ゼムクリップのケースです。中のクリップを使って、不要になったケースを紙で包みました。

先程の茶道具の図録によりますと、今から400年あるいはそれ以上前の中国製の香合は、中国で合子(ごうす)としてつくられたものを、日本で香合に見立てて使用したと考えられます。というようなことが書いてありました。中国の合子は、日本の箱を意味するらしく、印肉とか化粧品入れとして使われていたようですが、それが、日本でお茶の香合になったんですね。こういう経緯を考えてみますと、いろんなおもしろいものが香合になりそうだなあと思いました。

今回のこの香合は、すべて家にあったものでできました。よって、全くお金がかかりませんでした。

“お金を使うお茶“ではなくて、“頭を使うお茶”。これからは、これも私のお茶の一つの柱にしたいなあと思います。こういう風に思うのは、私がお金持ちじゃないからだと思いますが、本当は、お金があろうがなかろうが、そんなものには捉われず、その人なりに、その人らしく、自由にお茶できるというのが本物だと思います。もし、将来、私が何かのことでお金持ちになったとしても、お金に捉われずに自由なお茶ができれば、私は本物。できなければ、それまでの人。じゃ、ないかなあと思います。

干し柿、くるみ餅、干支せんべい

Img_14461_3今日は、葩会の初釜でした。

左は、主菓子です。

先日、友達が送って下さった、りんごやかんぴょうをご紹介しましたが、これも、その中の一つです。なんだかわかります?

干し柿です。その友達のお母さまが作られたものです。例年ですと、葩餅にするのですが、初釜にしては遅めだし、葩餅もなあ・・・と思っていたところに宅急便が届き、そうだ、これを主菓子にしよう・・と思いつきました。

千利休の頃は、こういうものをお菓子にしてお茶を飲まれていました。ちょうど1年のはじめに、先人と同じようなお菓子を味わい、思いを馳せてみるというのもいいのではないかなあ・・と思ったからです。

とても甘いなあ・・というのが味わってみた感想でした。天然の甘味なのに、びっくりするほど甘い。でも、お茶の味を損なうような甘さではない。甘いんだけど、後に残らない甘さ。という印象でした。

器の籠は、フランス人のSさんが、昨年お土産に下さったものです。フランス製かな?落としをいれて花入れに使って。と下さったのですが、まず、お菓子の器に使ってみました。少し大きめの煎茶茶碗2つに、干し柿をいれました。ぴゅーんと延びている棒のようなものは、庭の竹です。新年にしては、茶色っぽいかなあということで、青い葉を・・ということと、干し柿が干してある棒!?をイメージしました。干し柿は棒!?から外されて下の器に収まり、棒だけになったという設定です。

Img_1376_2 Img_1372_4 こちらも、その同じ友達が送って下さった、信州のくるみ餅です。

竹の皮に包まれていました。竹の皮、昔はもっと身近にあったものなのだと思いますが、今は、買わないといけないものになってしまいましたね。くるみ餅も、とても素朴なお味でした。

Img_1449干支のおせんべい。いのししの焼印が押してあるおせんべいです。こちらは、お正客さまからいただきました。ほのかな甘さのさくさくおせんべいです。

くるみ餅(写真左)、干支のおせんべい(写真右)は、二段重ねの塗りのお重に入れました。 この写真は、ちょっとぼけちゃってるので、感じだけ、小さな写真でお伝えします。

本日使いました、お道具、料理につきましてはまた追ってご紹介します。

最近、ふと聞いた言葉で、とても印象にのこっているものがあります。

一つは、オペラ演出家の方のお言葉。これは、この方の恩師がおっしゃった言葉だそうですが、

自分の道を歩き続けたら、いつかは他の人がいなくなる。1人になる

もう一つは、落語家の桂小米朝さんのお言葉。

古典は、いつも新しくないといけないと思う

です。              

点て初め

昨日は点て初めをしました。

お茶の道具が何もないところだったので、はじめはいろいろと持っていこうかなあと思ったのですが、 途中で、どうしても代用がきかないもの以外は持っていかないことにしよう、あるものをいかに活用できるか考えよう。というふうに切り替え、どうしても必要なものだけを持っていきました。で、持っていったものは、茶筅、抹茶、あと、頂いた生菓子、懐紙と楊枝です。

_img_1003_1 _img_1004_1 お盆・・・お盆がありませんでしたので、お昼に持っていった、おせちのお重の蓋をお盆の代わりにしました。お寿司の入っていたお重、大活躍です(12月30日の)

お茶碗・・・どんぶりもありませんでしたので、味噌汁を入れるお椀

茶杓・・・スプーン

建水・・・ボール

茶巾・・・布巾

鉄瓶、釜・・・やかん

茶器・・・抹茶が入っていた缶で、抹茶をふるいにかけた後、入れなおしました。缶そのままじゃなあ・・と思い、お菓子の包装紙を貼り付けました

今回やってみて、どうしても代用が効かないものは、茶筅と抹茶だなあと思いました。世界中には、茶筅の代わりになるようなものがあるかもしれませんが、私は知りません。何かありますか?抹茶も、それ以外のものを泡立てても違うものになってしまいますしね。でも、あとは代用が可能だなあと思いました。

今年は、茶室以外の場所で、どんなお茶の楽しみ方があるか、日常生活とは別空間でなくて、現代の生活に溶け込むようなお茶、ということも考えてみたいなあと思います。

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