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一を聞いて十を知る

一を聞いて十を知る。

モーツァルトの音楽を聴きながら、弾きながら、このことについて考えていました。では、なぜ、一が十に飛ぶ必要があるのか?それは、何かをするには、人の一生というのは短すぎるからなのではないかなあ・・と思いました。1,2,3・・・と順番に行っていたのでは、とても時間が足りない。どの分野でも、名人と言われる人はみな、1が10に飛ぶような感覚をお持ちなのではないかなあと思いました。1,2,3・・と順番に行く人と、1が10に飛んでしまう人とは、なかなか共感し合えないと思います。共感できるのは、1,2,3・・・と順番に行く人がかなり長い時間がかかって10までたどり着くか、あるいは、1から10に飛ぶ人が、2~9のことを説明してくれるか、このどちらかのような気がします。ただ、1から10に飛ぶ人にとっては、2~9は全く必要がないもののように思います。これは私の印象ですが、モーツァルトは、1が100くらいに飛んでいるように思います。1が10くらいだと、あれだけの短い生涯に、あれだけたくさんの素晴らしい曲を作ることはできないと思います。

では、千利休はどうだろう・・と考えてみました。1が10に飛ぶような感覚の方であるというのはわかるのですが、モーツァルトのように具体的には数字が思い浮かんできませんでした。なぜだろう・・と考えてみました。その理由は、今読み進めている、南方録にあるように思います。この書物は、真偽性が疑われているところがあります。私はまだすべてをじっくりと熟読したわけではないので、はっきりしたことは言えませんが、今の段階でも、私が調べたものと、これは、史実に合わない、江戸時代でないとおかしい・・というところや、感覚的な問題として、千利休ほどの方がこんなことをおっしゃる、こんなことをなさるのはおかしい・・と思うところがあります。しかし、すべてがそうであるわけではなく、例え千利休でなくても、同レベルの茶人でないととてもこんなことはできない、こんなことは言えない・・・というところもあります。こういうことが混在しているので、焦点が定まりにくいのだと思います。よって、これはしばらく保留にしておこうと思います。

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先日のお花です。

数え切れないほどの花を生けて、今更ながらですが、この花と同じお花は、私を含めてもう誰も生けることができないのだなあと思いました。この咲き具合、この曲がり方、この蕾のつき方・・・等々のお花がもう一度これだけの数集まることは二度とないのですから・・・。今更ですが、この花を生けてみてそう思いました。

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