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2006年6月

茶花と生け花

私は、もう10年以上になるかもしれませんが、生け花を習っています。茶会で茶花を生けるには、生け花の素養があった方がいいなあと思ったことが、習い始めたきっかけです。最初のうちはよかったのですが、私が自分でお茶の会を始めた頃からでしょうか、だんだんと私の中で、茶花と生け花が相容れない対立したものとなってしまい、生け花がすっかり嫌になって、次こそやめよう、やめよう・・と思いながらもやめるタイミングを逸して・・・。ここ2,3年はまさに惰性で続けていました。

それが、ほんの2ヶ月ほど前、あることがきっかけで、茶花と生け花が私の中でやっと1つになりました。ある生け花のお稽古日、その日は研究会で、花材も花器も自分で持って行かないといけなかったのですが、私はそのことを家を出る1時間ほど前に知りまして、あわてて、花器と花材を決めて持って行きました。花材は、庭のゆすらうめの古木と裏山の藪椿、花器は手持ちの籠でした。お稽古場で先生のご指導の下、生けたところ、同じお稽古場の方々にもすごく褒めて頂いて、先生にも、これやったら、流派のカレンダーにも使えるぐらいやなあと言っていただきました。私も、そこそこ生けられたかなあとは思いましたが、それより嬉しかったのは、自分で切ってきたものが、そのまま全部無駄なく使えたことです。椿は持ち歩くと花が落ちやすいので、1つくらい予備を取りましたが、あとはそのまま全部使いました。後日思ったのですが、形となって現れてきたのは、お稽古場でですが、私の頭の中には、木から切ってくる段階で、花器に生けた姿が出来上がっていたのだなあと思いました。だからむやみやたらに切ってくるのではなく、花器に生ける分だけを切ってくることができたのだなあと思いました。花を生ける、生かすという点では、茶花も生け花もどちらも同じことなんだなあと、この時やっとわかった気がしました。

ほんの2,3日前ですが、ふと、生け花と茶花を融合させた花を生けてみてはどうだろう・・と思いつきました。そして、昨日のお稽古の会で試してみました。花材は、あじさい3種です。 よくご覧頂くとわかるのですが、このあじさいの葉、どれも見事に虫食いになっています。茶花でも生け花でも、今まで虫食いのものは生けたことがないように思いますが、私はこれを見ていて、もし、仮に、虫食いの葉っぱをいろいろ描いて見てくださいと言われたとして、これほどバラエティに富んだ葉っぱが描けるだろうか、人間に作り出せるだろうか・・と思いました。うーん、これはすごいアートだ!とちょっと感動しましたので、どうしてもこれを生けたいなあと思ったわけです。では、このアートを生ける花器は何を使うのか、手持ちの花器を頭に思い浮かべてみたところ、あっ、あれしかない、と思いつきました。それは、もう7,8年くらい前になると思いますが、東寺の弘法さんで買ってきた、古い火鉢です。その火鉢、木をくりぬいて作ってあるんですが、ぱっと見てこれいいなあとひとめ惚れしました。ただ、店のおじさんが言われるには、この火鉢はひびが入っているので、火鉢としては使えない。おとしを入れたら花器としては使えるかもしれんなあとのことでした。私もそうやなあと思って買ってきたのですが、7.8年前の私には、花器として使えることはわかっていても、それに花を生ける技術、技量がありませんでした。で、そのまま一度も使わぬまま置き去りにされていたのですが、この度、この虫アートを生かせる花器は、このひびの入った火鉢しかない・・・。と初めて使ってみました。

いろいろ試行錯誤をしてみました。左は1回目、右は2回目で、この2回目が茶席の花となりました。同じお花でも、生け方が変わると、感じが変わりますね。付属品としてついていた、瓢箪の飾りがついた火箸も添えてみました。これは、私が今まで茶花を生けることによって培われてきたものと、生け花を生けることによって培われてきたもの、そして今の私の感性の融合です。いわゆる茶花でも、流派の生け花でもありません。私の感性で生けた花です。どうやら、お菓子に続き、型から抜け出し、7,8年も使いこなせなかった花器も使うことができ・・・。この写真の花は、私にとっては記念すべき作品です。

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炭、いろいろ (その2)

また、炭の話しに戻ります。

_pict2727 Pict27291 左は、フィリピンの炭、右は、イタリヤの炭です。

これは、昨年の秋に参加させて頂いた、ローマのセミナーで使われていた炭です。このセミナーは、ヨーロッパ各国の方々と、ヨーロッパにお住まいの日本人の方々が参加されるものなのですが、私も特別に参加させて頂きました。素晴らしい先生と、素晴らしいお茶仲間にお会いすることができ、体中の空気が一気に入れ替わるような貴重な体験をさせていただきました。今振り返りますと、このセミナーの直前、私はしんどさに疲れきって、投げ出しかけていたように思います。投げ出さなかったのは、このセミナーに参加させていただくことができたからだと思います。先生と、その時にご一緒させていただいた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。厚く厚く御礼申し上げます。この時のこと、そして、その後のお茶の交流のことなどは、またいつかご紹介します。

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日本の炭は、とても高価な上に、輸入するとなるとたいへんなので、日本のお茶の炭に変わるものとして、この2つの炭が使われていました。フィリピンの炭は、炭手前をしない時などに、そして、イタリヤの炭は、先生がお作りになった切り型に合わせて長い炭を切って使ってらっしゃいました。私は、日本では、寸法に合わせて切ってある炭を購入しているので、炭を切ったのはこの時がはじめてでした。

5月16日の写真と比べていただけると、日本のお茶の炭との違いがよくお分かりになると思いますが、右上の写真は、前列左から、点炭、丸毬打、割毬打、丸管炭、割管炭、後列左から、輪胴、胴炭です。さすがに、白く塗った枝炭はヨーロッパにはないので、お茶会ではなく、お茶のお稽古だったこともあり、入れるマネだけして、またもとの炭斗にもどしていらっしゃいました。

このセミナーでお会いした、ベルギー人のTさんは、日本のお茶の炭に替わる炭を求めて、ヨーロッパ中を車で旅をしながら、探していらっしゃるとおっしゃっていました。このお話しを伺って、実は、なんでお茶の炭ってこんなに高いにゃろー、炭なんか使うのやめよかなあ・・と思っていたところもあったのですが、これはあらためなあかんなあと思いました。ヨーロッパで、ここまでお茶の炭を大事にされている方があるのに、日本人として、日本でお茶をしているものとして、日本の炭の文化を守っていく責任があるのでないかなあと感じました。まだ思考中ですが・・。

私が、炭の事を初めて明確に意識したのは、以前書きましたが、先生から炭の上下についてのお話しを伺った時でした。それから、気に留めつつも、少し遠いところにあったのですが、このことから、お茶の中での“炭”が自分の中でクローズアップされました。よって、もうしばらく、炭の話しを続けようと思います。

ルーツは同じ

第67回葩会と、第68回葩会。この2つの会のお菓子は、一見全くタイプを異にするように見えますが、実は、共通点があります。

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丸ぼーろ、鶏卵素麺、金平糖、有平糖。すべて南蛮菓子をルーツとしています。

金平糖(こんぺいとう)の語源は、ポルトガル語のコンフェイトスあるいはコンフェイトから来ているそうで、金平糖は、宣教師フロイスが、キリスト教布教の許可を得るため、織田信長に謁見したときの、献上物のひとつだったそうです。

有平糖(アルヘイトウ)は、砂糖で作られた飴の一種で、語源は、ポルトガル語のアルフェニンあるいはアルフェロアから来ているそうです。長崎には、アルヘイ細工を工夫した、伝承技術である、”ぬくめ細工”というお菓子が伝わっているようです。長崎に旅行したら、実物を見てみたいです。

満天から・・・

前回の葩会からしばらく、シンプルで素朴なお菓子特集にしようかと思っていたのですが、この夏に向けての新作、「満天」というお菓子をいただきましたので、そのお菓子に合わせて、他のお菓子を取り合わせてみました。

左下が、その「満天」です。夏の夜空にきらめく星々をイメージしたものだそうです。周りに金平糖の星を散らしてみました。右下は、有平糖の観世水と、和三盆の若鮎。よって、左が空で、右が川などの水中をあらわしています。これから夏に向けてのテーマかな?

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こちらは、少し遅れて来られた方のための、一人用お菓子の盛り合わせです。このお菓子皿は、女性の陶芸家Iさんの作品です。岩本さん、昨日ご紹介したAさん、そしてこのIさんは陶芸のお仲間です。

今回、このお菓子を盛り付けてみて、お菓子に関しては、いわゆる“型”からちょっと抜け出せたかなあ・・と思いました。自分のお茶会なのだから、自分の感性をフル回転させて、自由に楽しめばいいんだ。と、やっとやっと思えるようになった気がします。

問題に直面した時、逃げたらあかんなあと思いました。苦しくても、もがき続けないと、逃げたら、そこで止まってしまうし、終わってしまう。そんなふうに思いました。でもでも、何事も、言うは易し、行なうは難しです。私が逃げてるなあ・・と思われたら、「逃げてないですかぁ・・」と言ってください。しばらくは逃避行しているかもしれませんが、そのうち、問題に戻ってこようと思います。やっぱり、そこで止まってしまうのも、終わってしまうのもいやだし、それに“もがき”は私の大きな養分になるような気がしますし・・。行きつ戻りつしながら、進んで行きたいです。

第68回葩会

_pict4060 昨日は、第68回葩会でした。お菓子のこととか、また追々ご紹介しますが、この左の作品は、昨日来てくださった、女性の陶芸家、Aさんの作品です。

これは、展覧会場では、食器だったと思いますが、夏向きの平茶碗にいいわあ・・とお茶碗として使っています。夏は、水面がよく見えて涼しげな、平たいお茶碗がよく使われますので。

このお茶碗の絵のとおり、空と水が昨日のお菓子のテーマでした。

葩会が終わったあと、リボンの会社でお仕事をされている方が、リボンのカタログを作られるということで、文殊の知恵?を出しあっていたのですが(また10日に企画会議!?をします)、その時、当のご本人が、なんか全然思い浮かばへん・・とおっしゃっていたのを聞いて、私のお茶と一緒やん・・と思いました。こういうもんやーというのが頭の中にインプットされると、それから開放されるのってたいへんなんやなあと改めて思いました。リボン、箱、ラッピングから、日本と西洋の価値観の違いみたいな話しにまで発展して、今まで全く考えてみたことがないことだったので、頭の中がかなり活性化されました。私の頭の中が一番活性化されるのは、「えー、うそー、なんでこんなことになるのー」といった時ですが(困ったことに時たまあります)、この時は、ものすごくいろんなものがよく見えますね。これが自分にとってほんとに大事なものなんだなあとか、この人は実はこういう人だったのかあとか、私はこういう人間だったのかあ・・とか。普段気付かないで通り過ごしてしまっていることがよく見えます。お茶の先生が、身に染みて覚えたことは忘れない、というようにおっしゃっていましたが、確かに、すーっと通り過ぎた事ってぜんぜん覚えてません。よって、すうっーと流れて行くのもいいけれど、ちょっともたもたしたり、あまりのことにぶっ倒れそうになったり、ということも、それはそれなりに悪くない気がします(たまになら)。それを楽しむとまでは、まだまだ至っていませんが・・・。

毬打

炭の話しに戻ります。

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毬打(丸毬打)という名前の炭です。大きい方が、だいたい11月から4月ごろまでの炉用、小さい方が、5月から10月頃の風炉用です(すべてのお茶の流派に共通のものではないようですが)。

読み方は、ぎっちょ、ぎっちょう、ぎちょう・・など、いろいろあるようです。

では、この毬打とは何のことなのかと言いますと、昔の遊戯具であることは確かなのですが、毬打、ぶりぶり毬打というものがあって、これは違うものらしいのですが、古くから同一のものとされていたらしく、炭の名称がどちらをとったものなのか等、よくわかりませんでした。ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。

私は、炭手前をする時に、炭手前を初めてご覧になる方には、これは○○という炭です。とご説明することが多いのですが、今まで、この毬打という名前を聞いて、「あー、毬打」と反応なさった方はお1人くらいでした。ほとんどの方が、「?????」という感じでした。

この時、私はいつも2つのことを思います。1つは、これだけ誰もわからないのだから、みんながわかる名前に変えてはどうだろう、ということ。そして、もう1つは、みんな知らないものだけど、過去にこういうものがあったということをずっと伝えて残していく、これも大事かもなあ・・ということ。です。

今の私には、このどちらがいいのかよくわかりません。もしかして、歴史というのは、いつもこういう問いかけの繰り返しなのかなあと思ったりします。そして、私が今、茶の湯に対して、もやもやもやもやしたものを持っているのは、こういう問いかけの真ん中で、揺れているからかもなあ・・という気がします。

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