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モーツァルトの音楽のようなお茶

これは、2006年5月2日の私の思いです。

私にとって、すごいものとは、道を歩いていて、うん!?と何かひっかかるものがあって、道を戻ってよく見ると、「うわ!、すごー」というようなものです。つまり、一見はいかにも凄そうに見えず、普通のものの中に何事もなかったように混ざっているのですが、よく見ると、深い底からうぅーと唸っているようなオーラを発しているものです。

これは、例えば、千利休の道具とか、あと、モーツァルトの音楽にもそういうものを感じます。以前、ある方が、いろいろあって生きる力を失ってしまわれた時に、テレビから五嶋みどりさんの演奏が聴こえてきて、それで生きる勇気が湧いてきた、とおっしゃいました。私はこのお話しを聞いて、たまたま関西で五嶋みどりさんの演奏会があったので、聴きに行ったのですが、まるで、ヴァイオリンが泣いているみたいでした。

この方のこのお話しは、私にとって1つの転機となりました。それまで、「お茶なんて、お嬢さんの道楽やん」とか、いろいろ言われても、こんな素晴らしいものを、わかってないなあ・・、馬耳東風で聞き流していました。私のお茶の先生は素晴らしい方で、茶の湯の本質、私の思うところの、深い底から唸ってくるものをしっかりと見据えていらっしゃいますし、先生ご自身も、そういう存在でいらっしゃいます。ですから、茶の湯のほかの面が見えても、お茶が素晴らしいものであるという認識は微動だに動きませんでした。

それが、この時初めて、疑いの気持ちがおこりました。音楽は、演奏会では、1度に多くの方がこの方と同じようなお気持ちを持つことができるし、またいろいろなご事情により、演奏会場に行くことがお出来にならない方でも、テレビ、ラジオ、CD等で身近で音楽に触れることができます。他方、お茶は、まず第一に必ず、お客様に来ていただく、ご足労願わないといけないものであり、大人数は無理で極々少人数、決まりごとだらけで作法がわからない方は緊張の連続、お膝がお悪いとか正座が難しい方は来ていただきにくい等々・・音楽に比べて、かなり閉鎖的なものなんだなあ・・とこの時初めて思いました。

このことだけではありませんが、このことが大きな契機となって、迷いの旅が始まりました。それから数年間、少し前まで、穴にどっぷりと浸かっていました。迷いの旅は今も続行中ですが、最近、気付かぬうちに穴からいつの間にか抜け出ていましたので、抜け出た記念にブログを始めました。ということに、ブログを始めてから気付きました。

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昔の武将は、利休のお茶を一服飲んでから戦場に行きたいと言っていたというようなことを聞いたことがあります。もう二度と生きては帰れないかもしれない、最後に利休のお茶をいただきたいということだと聞きました。でも今は、そういう時代ではありません。

これから先、また変わるかもしれませんが、私はモーツァルトの音楽のようなお茶ができたらいいのになあと思います。ベートーヴェンなんかは、体調とかによってはへービー過ぎるなあと思うこともありますが、モーツァルトの音楽は、胎教にもいいと言われるくらい、万人向けのところがあるように私は思います。でも、底には、深いところから唸ってくるものがあり、でもそれを気付かないで通りすぎていくような、軽やかな心地よさとなって現れてきているので、どんな人、どんな時でも聴ける音楽なのかなあと思います。

私は、モーツァルトの音楽を聴くと、モーツァルトはとても寂しかったのではないかなあといつも思います。それは、モーツァルトが感じるもの、作曲家だからきこえてくるものでしょうか?それを誰とも共有できないからです。モーツァルトにしかきこえないからです。いい音楽を作れば作るほど、さみしさが増していかれたのではないかなあと思います。

モーツァルトの音楽のようなお茶と言っても、じゃ、具体的には?と言われるとまだはっきりしていません。来週、モーツァルトを聴きに行きますので、聴きながら考えてみようかなあと思います。すぐには無理だと思いますが・・・。

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茶の湯 chanoyu」カテゴリの記事

コメント

う~ん、深いお話ですね。
思わず読みいってしまいました。
恐縮ですが、いろいろ学ぶべきことがあることをお教えいただいたような気がします。
chajinさん、ありがとうございます。

こんにちは、chajinさん。
「モーツァルトの音楽のようなお茶」いいですね、なんとなくわかります。
モーツァルトの曲は、大半が宮廷貴族のために作られた楽しく華やかな長調の音楽ですが、
たまーに、これがモーツァルト?!と思うような重~く厳しささえ感じるような短調の音楽がありますよね。
ほんとは寂しかったのでは・・・と仰るとおり、
私もそんな短調の曲に、彼の本当の内面が現れているように思います。(私は、そっちのほうが好きですが)
茶の湯とモーツァルト、いずれも一見ではわからない底知れぬ深いものがありそうですね。

私は、せっかく人間に生まれてきたのだし、このすばらしい茶の湯を知らずに一生を終えるのは、もったいないなあと心の底から思います。もちろん、他にも、モーツァルトの音楽やその他、この世の中には、すばらしいものがたくさんあります。
それを、すばらしいものにするか、台無しにするか。そこら辺のところが問われるところだと思います。

音楽もお茶も、細かいところを知らなければわからないところも、確かにあるように思いますが、反面、そういうものを通り越して、直接体のどこかに響いてくる、この両方があるような気がします。
下手にいろいろと知っていると、頭だけで考えて、この後者の方の感覚が鈍ってしまうようにも思います。

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